こちらでは中国南部の地理歴史を紹介していきたいと思います。中華人民共和国の地理大区に準拠すると西南部にあたる地域が主となりますが、当サイトの区分ではチベット自治区を内陸西部に回しているため、ここではチベット以外の西南部に存在する世界遺産を主に扱うことになります。個別の世界遺産を取り上げるのに先立って、トップページでは中国南部にまつわる基本的な知識をご紹介して、世界遺産をより深く知るためのステップ
こちらでは中国南部の地理歴史を紹介していきたいと思います。中華人民共和国の地理大区に準拠すると西南部にあたる地域が主となりますが、当サイトの区分ではチベット自治区を内陸西部に回しているため、ここではチベット以外の西南部に存在する世界遺産を主に扱うことになります。個別の世界遺産を取り上げるのに先立って、トップページでは中国南部にまつわる基本的な知識をご紹介して、世界遺産をより深く知るためのステップにしたいと考えています。我々日本人にとっては何かとネガティブなイメージも強い中国ですが、こと政治面を除いて考えれば、極東アジア随一の歴史・文化を有したロマン溢れる地域といえるでしょう。古代、確かに一つの世界の中心だった中国。その南部にはどういった遺産・文化が眠っているのでしょうか?
◎中国南部の地理
日本人にとっては馴染みの少ない地域とも言える西南部。こちらではチベットを除いて考えるため、具体的には雲南省・貴州省・四川省、そして省に属さない直轄市である重慶市について扱っていきます。
1.四川省
省都は成都で、内部に複数の自治州を含むことが知られています。
北部にはジャイアントパンダの生息地が存在しており、東南アジアに近い高温多湿な風土が特徴的です。米をはじめとして農業が盛んであり、土壌の肥沃さが抜きんでていることでも知られ、多くの農村が存在。やや牧歌的なイメージをまとった西南の拠点とも表現すべき一大地域となっています。
ちなみに日本人が一般に「中華料理」と言う場合には四川料理を指すのが普通で、いわゆる「中華料理=辛い・油っぽい・味が濃い」というイメージは四川料理によるところが大きいんですね。逆に他の地方の中華料理はそれほど味が濃くもありませんし、脂っこさも感じないものが多いです。具体例としては、麻婆豆腐・麻婆茄子・回鍋肉(ホイコーロー)・青椒肉絲(チンジャオロース)・担々麺・棒々鶏(バンバンジー)・エビチリなどは全て四川料理。他の中華料理で日本でも馴染みがあるのは広東料理の唐揚げ・茹で海老くらいでしょうか。(余談ですが、ラーメンは中華風のスープに中華麺を入れた日本発祥の料理であり、中華料理ではありません)これらの例を比較しても、いわゆる「辛い・油っぽい・味が濃い」という先入観にすべてマッチしているのは四川料理だけだという事実がお分かりになるかとおもいます。
2.貴州省
省都は貴陽です。
非常に貧しい地域として知られ、目立った産業は特にありません。漢民族の人口は全人口の6割強に過ぎず、残る4割近くがミャオ族・プイ族・トン族・トゥチャ族などをはじめとした少数民族なのも大きな特徴でしょう。これにより、省内の半分以上にあたる面積が少数民族の自治区となっています。
ちなみに近年、ボーキサイト(アルミニウムの原料)や石炭の埋蔵量が豊富であることが判明しており、今後は中国のエネルギー供給・鉱物資源供給に寄与する要地へと成長していく可能性を秘めていると言われています。
3.雲南省
省都は昆明です。
総人口に占める漢民族の割合が7割足らずで、残りの3割強をイ族・ぺー族などを中心とした少数民族が占めています。多様な少数民族を抱えており、中国全土で雲南省にしか居住していない少数民族が15族以上も存在していることが有名。
ラオス・ヴェトナム、さらにミャンマーと国境を隣接しており、東南アジアと中国の境界となる位置になることから、広い中国国内でも最もエキゾティックな地域といえるでしょう。
4.重慶
どこの省にも属さない直轄市となっており、西部最大の大都市として経済発展を続けています。元々は四川省の一部でしたが、1997年に直轄市として分離しました。また、都市とはいっても北海道に匹敵するほどの面積を有しており、内部には多くの町や農村を含んでいる半ば地方のような存在です。
ちなみに、ここ重慶は日中戦争において、日本軍に押された国民党軍が最後の拠点として抵抗を続けた都市であり、現在でも非常に対日感情が悪いことで知られています。これは重慶市だけに留まらず四川省を中心とした西南地域全体に言えることですので、この辺り一帯は日本人が旅行する際には特に注意が必要な地方だといえるでしょう。海外旅行においては常識の一つですが、中国西南部においては特に政治的・歴史的話題を避けるのが賢明でしょう。
◎中国西南部にまつわる歴史エピソード
〜『三国志演義』と漢民族のナショナリズム
『水滸伝』『金瓶梅』『西遊記』そして『三国志演義』といえば多くの人が知っている中国四大奇書。中でも最も有名なのが、やはり『三国志演義』でしょう。当ページで出てきた成都という都市名から、すぐに三国志の蜀を想起した方も多いのではないでしょうか。
そこで、こちらでは西南部の政治的中枢――成都にまつわる歴史エピソードとして『三国志演義』のお話をさせて頂きたいと思います。お話自体はもちろん「漢王朝の流れを汲む劉備が持ち前の人徳で軍師:諸葛亮をはじめとする有能な仲間に恵まれて蜀を建国、漢を軽視して帝位を簒奪した逆賊:曹操の流れを汲む魏に立ち向かい、哀しくも敗れていく物語」です。
本で読んだことのある方も多いでしょうし、あらすじくらいはgoogle検索であっという間に見つかるはずですから、ここで物語の概要に深入りすることは避けましょう。ここではむしろ、なぜ『三国志演義』が歴史に残る物語として定着したのか・なぜ作者は歴史の敗者である蜀を主人公に据えたのか、といった作品そのものにまつわるエピソードについて考察していきたいと思います。
まずは、この『三国志演義』が書かれたのが明代末という点に注目してみましょう。明代末というのは、漢民族王朝の明が大幅に弱体化し、間もなく満州騎馬民族(女真族)に飲み込まれて清の支配下に収まろうとする時代です。中華思想を根幹とする漢民族にとっては、正当な民族が異民族に飲まれていく絶望の時期にあたるわけですね。実は、この時代背景こそが『三国志演義』を生んだと言っても恐らく過言ではないのです。未だに「漢民族」という名前が通用しているのを見ればお分かりになるでしょうが、中国人にとって漢というのは民族の根本に位置する偉大な王朝だったのです。その漢王朝がついに弱体化し、内部の反乱から崩れようとしている時代に正当な漢王朝の名字である「劉」姓を受け継ぐ好人物――劉備が、血統的には帝位につく正当性を持たない「曹」姓の強大な兵力に挑み、勇猛果敢に戦いながらも散ってゆく姿。それが、まさに女真族に敗れんとする当時の漢民族に重なったのです。
これは、劉備という主人公の人物造形にも大きく影響しているように見受けられます。劉備は高い知性と武力を持ってはいましたが、それはいずれも曹操には及びません。代わりに劉備にあって曹操になかったのは「義に厚く礼を重んじる」という古代中国の精神的支柱「儒教」の精神であり、その精神から派生する人徳でした。多くの仲間と領民の支持を受けた劉備が、やがては一国をまとめ上げ、圧倒的な物量と兵力を有する冷徹なリーダー:曹操に立ち向かう構図。実力に裏打ちされた「真の自信」を失いつつあった明代末当時の漢民族に流れる血統的・民族主義的プライドをくすぐる見事な設定です。当時の人々は、伝統が実力の前に敗れ去る現実を『三国志演義』の世界観に重ねて嘆き、同時に残された僅かなプライドを充足させていたのではないでしょうか。
ところで、三国時代の歴史を扱った歴史書としては、別個に『三国志』(俗には正史三国志とも呼ばれます)が存在しており、こちらは魏を正統とする価値観で編纂された書物になっています。この中で、曹操は「冷徹な面も併せ持つリアリスト」としての側面からだけでなく、有能な政治家としての観点からも評価されており、全体的に好人物として描かれているのが特徴です。対する劉備はやや矮小な人物とされており、諸葛亮は軍師としてではなく政治家としての資質に多くの紙面が割かれていました。無論、正史とされる『三国志』は魏の後継王朝である西晋時代に編纂された書物ですから、魏を正統として描くのは至極当然です。(というか、そう書かないと編者は処刑されます)ですから『演義』と『正史』のうち「いずれが正しい歴史的評価であるか」を語るのはそもそもナンセンスといえるでしょう。ハッキリしているのは、そのいずれもが「歴史に対する一つの捉え方」を示す一例である、ということだけです。
創作物にせよ、歴史書にせよ、あらゆる資料は時代の流れを受けた「ある事実へのリアクション」としての性質を持つ傾向がありますから、歴史を扱った書物に触れる際には「その書物が書かれた歴史的背景」を知った上で読むと、また新しい一面が見えてきます。ここで挙げた「時代小説である『三国志演義』の中に潜む漢民族のナショナリズム」もまた、その一例といえるでしょう。
※当ページで使用している画像はwikipediaからの引用です。
wikipediaはコピーレフトという考え方を標榜しており、引用・再利用が自由です。
◎中国南部の地理
日本人にとっては馴染みの少ない地域とも言える西南部。こちらではチベットを除いて考えるため、具体的には雲南省・貴州省・四川省、そして省に属さない直轄市である重慶市について扱っていきます。
1.四川省
省都は成都で、内部に複数の自治州を含むことが知られています。
北部にはジャイアントパンダの生息地が存在しており、東南アジアに近い高温多湿な風土が特徴的です。米をはじめとして農業が盛んであり、土壌の肥沃さが抜きんでていることでも知られ、多くの農村が存在。やや牧歌的なイメージをまとった西南の拠点とも表現すべき一大地域となっています。
ちなみに日本人が一般に「中華料理」と言う場合には四川料理を指すのが普通で、いわゆる「中華料理=辛い・油っぽい・味が濃い」というイメージは四川料理によるところが大きいんですね。逆に他の地方の中華料理はそれほど味が濃くもありませんし、脂っこさも感じないものが多いです。具体例としては、麻婆豆腐・麻婆茄子・回鍋肉(ホイコーロー)・青椒肉絲(チンジャオロース)・担々麺・棒々鶏(バンバンジー)・エビチリなどは全て四川料理。他の中華料理で日本でも馴染みがあるのは広東料理の唐揚げ・茹で海老くらいでしょうか。(余談ですが、ラーメンは中華風のスープに中華麺を入れた日本発祥の料理であり、中華料理ではありません)これらの例を比較しても、いわゆる「辛い・油っぽい・味が濃い」という先入観にすべてマッチしているのは四川料理だけだという事実がお分かりになるかとおもいます。
2.貴州省
省都は貴陽です。
非常に貧しい地域として知られ、目立った産業は特にありません。漢民族の人口は全人口の6割強に過ぎず、残る4割近くがミャオ族・プイ族・トン族・トゥチャ族などをはじめとした少数民族なのも大きな特徴でしょう。これにより、省内の半分以上にあたる面積が少数民族の自治区となっています。
ちなみに近年、ボーキサイト(アルミニウムの原料)や石炭の埋蔵量が豊富であることが判明しており、今後は中国のエネルギー供給・鉱物資源供給に寄与する要地へと成長していく可能性を秘めていると言われています。
3.雲南省
省都は昆明です。
総人口に占める漢民族の割合が7割足らずで、残りの3割強をイ族・ぺー族などを中心とした少数民族が占めています。多様な少数民族を抱えており、中国全土で雲南省にしか居住していない少数民族が15族以上も存在していることが有名。
ラオス・ヴェトナム、さらにミャンマーと国境を隣接しており、東南アジアと中国の境界となる位置になることから、広い中国国内でも最もエキゾティックな地域といえるでしょう。
4.重慶
どこの省にも属さない直轄市となっており、西部最大の大都市として経済発展を続けています。元々は四川省の一部でしたが、1997年に直轄市として分離しました。また、都市とはいっても北海道に匹敵するほどの面積を有しており、内部には多くの町や農村を含んでいる半ば地方のような存在です。
ちなみに、ここ重慶は日中戦争において、日本軍に押された国民党軍が最後の拠点として抵抗を続けた都市であり、現在でも非常に対日感情が悪いことで知られています。これは重慶市だけに留まらず四川省を中心とした西南地域全体に言えることですので、この辺り一帯は日本人が旅行する際には特に注意が必要な地方だといえるでしょう。海外旅行においては常識の一つですが、中国西南部においては特に政治的・歴史的話題を避けるのが賢明でしょう。
◎中国西南部にまつわる歴史エピソード
〜『三国志演義』と漢民族のナショナリズム
『水滸伝』『金瓶梅』『西遊記』そして『三国志演義』といえば多くの人が知っている中国四大奇書。中でも最も有名なのが、やはり『三国志演義』でしょう。当ページで出てきた成都という都市名から、すぐに三国志の蜀を想起した方も多いのではないでしょうか。
そこで、こちらでは西南部の政治的中枢――成都にまつわる歴史エピソードとして『三国志演義』のお話をさせて頂きたいと思います。お話自体はもちろん「漢王朝の流れを汲む劉備が持ち前の人徳で軍師:諸葛亮をはじめとする有能な仲間に恵まれて蜀を建国、漢を軽視して帝位を簒奪した逆賊:曹操の流れを汲む魏に立ち向かい、哀しくも敗れていく物語」です。
本で読んだことのある方も多いでしょうし、あらすじくらいはgoogle検索であっという間に見つかるはずですから、ここで物語の概要に深入りすることは避けましょう。ここではむしろ、なぜ『三国志演義』が歴史に残る物語として定着したのか・なぜ作者は歴史の敗者である蜀を主人公に据えたのか、といった作品そのものにまつわるエピソードについて考察していきたいと思います。
まずは、この『三国志演義』が書かれたのが明代末という点に注目してみましょう。明代末というのは、漢民族王朝の明が大幅に弱体化し、間もなく満州騎馬民族(女真族)に飲み込まれて清の支配下に収まろうとする時代です。中華思想を根幹とする漢民族にとっては、正当な民族が異民族に飲まれていく絶望の時期にあたるわけですね。実は、この時代背景こそが『三国志演義』を生んだと言っても恐らく過言ではないのです。未だに「漢民族」という名前が通用しているのを見ればお分かりになるでしょうが、中国人にとって漢というのは民族の根本に位置する偉大な王朝だったのです。その漢王朝がついに弱体化し、内部の反乱から崩れようとしている時代に正当な漢王朝の名字である「劉」姓を受け継ぐ好人物――劉備が、血統的には帝位につく正当性を持たない「曹」姓の強大な兵力に挑み、勇猛果敢に戦いながらも散ってゆく姿。それが、まさに女真族に敗れんとする当時の漢民族に重なったのです。
これは、劉備という主人公の人物造形にも大きく影響しているように見受けられます。劉備は高い知性と武力を持ってはいましたが、それはいずれも曹操には及びません。代わりに劉備にあって曹操になかったのは「義に厚く礼を重んじる」という古代中国の精神的支柱「儒教」の精神であり、その精神から派生する人徳でした。多くの仲間と領民の支持を受けた劉備が、やがては一国をまとめ上げ、圧倒的な物量と兵力を有する冷徹なリーダー:曹操に立ち向かう構図。実力に裏打ちされた「真の自信」を失いつつあった明代末当時の漢民族に流れる血統的・民族主義的プライドをくすぐる見事な設定です。当時の人々は、伝統が実力の前に敗れ去る現実を『三国志演義』の世界観に重ねて嘆き、同時に残された僅かなプライドを充足させていたのではないでしょうか。
ところで、三国時代の歴史を扱った歴史書としては、別個に『三国志』(俗には正史三国志とも呼ばれます)が存在しており、こちらは魏を正統とする価値観で編纂された書物になっています。この中で、曹操は「冷徹な面も併せ持つリアリスト」としての側面からだけでなく、有能な政治家としての観点からも評価されており、全体的に好人物として描かれているのが特徴です。対する劉備はやや矮小な人物とされており、諸葛亮は軍師としてではなく政治家としての資質に多くの紙面が割かれていました。無論、正史とされる『三国志』は魏の後継王朝である西晋時代に編纂された書物ですから、魏を正統として描くのは至極当然です。(というか、そう書かないと編者は処刑されます)ですから『演義』と『正史』のうち「いずれが正しい歴史的評価であるか」を語るのはそもそもナンセンスといえるでしょう。ハッキリしているのは、そのいずれもが「歴史に対する一つの捉え方」を示す一例である、ということだけです。
創作物にせよ、歴史書にせよ、あらゆる資料は時代の流れを受けた「ある事実へのリアクション」としての性質を持つ傾向がありますから、歴史を扱った書物に触れる際には「その書物が書かれた歴史的背景」を知った上で読むと、また新しい一面が見えてきます。ここで挙げた「時代小説である『三国志演義』の中に潜む漢民族のナショナリズム」もまた、その一例といえるでしょう。
※当ページで使用している画像はwikipediaからの引用です。
wikipediaはコピーレフトという考え方を標榜しており、引用・再利用が自由です。

